男の子4人を子育て中のシングルマザーsikiのプロフィール

2020-09-19

いつもお疲れさまです。

sikiです。

今回は、

自信、自己肯定感マイナス
自己否定と自己嫌悪が大得意

自分大嫌いで
子育てにも超迷走

心配性&不安症候群で
メンタルどん底だった私が

奇跡の出会いを果たし

子供たちがかわいくてたまらなくて
一緒にいられることが
楽しくて、うれしくて

心の底から幸せで
感謝で満ち溢れた毎日を
送れるようになるまでを

お伝えしていきます。

 

最後までお付き合いいただけると
うれしいです!

どうぞよろしくお願いいたします。

 

目次

優等生だった幼少期~小学生時代

私は3人きょうだいの
長女として
この世に生を受けました。

弟と妹がいます。

実は私には、
子供のころの細かい記憶があまりない笑
のですが、物心ついた時にはすでに、

父親が恐怖の大王として
家庭に君臨していました。

父親は私にとって、
絶対にご機嫌を損ねてはいけないし、
逆らってはいけない人でした。

私がそう思い込んでいたのは、
母が、父が不機嫌になると

矛先が子供たちに向かうのを
阻止したい一心で
私たちに

「おとなしくいい子でいさせよう」

としていたことも大きな理由です。

 

また、実際父も、
何がスイッチで不機嫌になって
怒り出すかわからないし、
怒ると本当に怖い人でした。

 

それから、弟妹が
結構手のかかる子たちだったのもあって、
私はいい子でいるしかなかったのです笑。

 

小学校でも優等生でした。

先生の言うことはちゃんと聞くし、
宿題もきっちりやるし、

翌日の時間割の準備も完璧、
忘れ物もしません。

たまに忘れ物があったときは、
この世の終わりかと思うほど
焦っていたのを覚えています。

 

先生に怒られてはいけないと、
強く強く思い込んでいたのです。

授業にも当然真面目に取り組むので、
成績もよかったです。

しかし、ある時算数で
どうしても覚えられない、
理解できない問題に
出会ってしまいます。

テストでもいつものような点数を取れず、
母に何ていわれるだろうかと
ビクビクしていました。

それでも、どうしても覚えられないのです。
今でもわかりません笑。

 

そこで私は初めて、
勉強というものに、特に算数に
苦手意識と、恐怖を覚えました。

私にとって、
できないことは悪いことだったのです。

悪いことは怒られる対象です。

悪い点を取ると、
先生に、
母に、

怒られる!!

それがどうしても嫌でした。
怖くて仕方ありませんでした。

 

今思えば、いい子でいないと、
誉めてもらえる子でないと、
できる子でないと、

愛してもらえないと

思っていたのです。

 

暗黒期だった学生時代

 

中学生になると同時に、
母に言われるがまま
塾に通い始めました。

最初に行った塾が大手の塾で、
授業の内容は全く覚えていませんが、

とにかく宿題の量が半端なく多かった!!

定期テスト対策期間になると、
周辺中学校の過去問題集のプリントが
鬼のように出されます。

日にちを分けて
少しずつ取り組めばよかったものを、

当時の私は、解かなくてはいけない問題を渡されて、

毎日少しずつ順にやっていく、

ということができなかったのです。

どういうことかと言いますと、
もらった日から、
その日のうちにできるだけたくさん
過去問を解いて、

できるだけ早く、
渡された過去問プリントを
やりきるのです。

やるべきことを残したままでは、
気になって気になって
落ち着かないのです。

 

そうやって必死にやっていると、
母に褒めてもらえます。

そしてプリント集を早く提出すると、
塾の先生にも誉めてもらえます。

ただそのためだけに、
必死でした。

 

でも、そうやって
必死でプリント集をやり切って提出すると、

どうなるかわかりますか?

 

新しい問題を、
追加で渡されるのです!!!笑

 

もうこうなると本当に、
やってもやっても終わりません。

しかもそれだけやってるのに、
焦りと疲れで
あんまり身につかないのです。

それでも一応勉強してたぶん、
成績は良いほうでしたが、

いつも自分が安心できる
(これならお母さんに
怒られないだろうと思える)点数を

とれたわけではありませんでした。

成績は決して
悪かったわけではないのに、

私はいつも、

「これだけやってるのに
こんな点数しか取れない。
私はできないやつなんだ」

と思っていました。

自信も自己肯定感も
あったもんじゃありません。

結局ストレスから
精神的に変調をきたし、

その塾は1年で辞め、
個人経営の小さな塾に移りました。

 

またこの時期は
思春期真っただ中ということで、

友達関係や恋愛関係でも
悩みました。

恋愛は万年片思い笑

でも何より、
友達関係に悩みました。

 

とにかく、
みんなに馴染むことが
できないのです。

みんなが当たり前にやってることが・・・

例えば女子で、
いつの間にかグループが出来上がっていたり、

その中でもいつも一緒にいて当たり前の
特定で固定の相手を作ったりすることの
やり方がわからなくて、

いつも出遅れていました。

 

何とかグループに属すことに成功しても、
いつも違和感を感じていました。

がんばって合わせよう
馴染もうとしているのに、

どうしても、いつだって、
自分だけ浮いてるような、
自分だけ偽物のような気がして、

いつも落ち着かなくて
不安でした。

 

だから私は、
クラスでペアを決めて
何かに取り組まねばならないとき、

先生が、

「誰でもいいから
好きな人と組んでいいよ」

と言うのが、

ホントにホントに、大嫌いでした。

いつも、余るからです。

あの惨めさといったらありません。

 

結果私は、

どんどん自分に自信をなくし、

みんなが難なく
当たり前にやってることを、
必死でやってもできない自分を、

猛スピードで
大嫌いになっていきました。

 

それでも、親に対する
優等生のふりは、やめませんでした。

進路を決める時も、

「これならお母さんたちも、
いいって言ってくれるだろう」

と思える道が最優先でした。

結果、県内でも人気の
公立進学校を志望し、

無事合格しました。

しかし、中学時代に
イヤって程勉強していたせいか、

高校時代は燃え尽き症候群のようになってしまい、
勉強に全く
身が入りませんでした。

しかも自他ともに認める
超文系人のくせに、

その時すでに決めていた進路に進むには
理系の大学に入る必要があったため、

理系に進んだせいで、
余計に授業内容についていけないのです。

全っ然おもしろくないですしね笑

 

志望大学の入試に
物理が必須だったのですが、

定期テストでは
見事赤点を取り続けました。

もちろん数学もダメダメ。
ついでに化学もダメ。

よく卒業できたもんだと思います。

ちなみにその決めていた大学も、
親が、これならいいと言ってくれるだろう、

と思って決めたものでした。

競争率が低く、
おそらく合格できるだろう

という下心もありました。

特殊な職業を選んだので、
それに就くには
その大学に行くしかなかったのです。

 

つまり私は、

「私は将来この職業に就きたい、
それにはこの大学に行くしかない」

ことを建前に、

自分がほぼ確実に合格できる大学を
受験することに対する
親の許可を
もぎ取ったのです。

 

だって受験に落ちるなんて

絶対、あってはならないことだったのです!
親ががっかりします。

それは私の

存在意義を揺るがすものだったのです。

 

そんな悲壮感とともに迎えた大学受験も、
何とか推薦をもぎとり、

そのまま合格しました。

国立四大です。

体裁的には100点満点です。

高校受験は滑り止めの県内県外私立も合格、
大学受験は本命一本。

受験は失敗知らずで、すべて
第一志望校に合格したことになります。

しかも、すべて公立。

これは明らかに、親孝行です。

できる子です。

「世間から見て」

もうそれしかなかったのです、
私が親から認められるには。

そう、思い込んでいたのです。
今はそう思います。

思い込んでたって。

 

でも同時に、
そう思い込んだ原因は両親にある、
とも思っています。

それを責める気持ちは
今はありませんが、

そう思えるようになるまでは、
私はそれはもう

両親を恨んでいました。

 

恨んでいたし、
憎んでいたし、
大嫌いでした。

自分の不幸の原因はすべて、
両親のせいだと思っていました。

今はそんなことないですけどね!

 

確かに私が
そんな風になった原因は両親にありますが、
今はそれを、恨んだりはしてません。

両親のことも好きですし、
大切に思えています。

どうやって今のようになれたかは、
また別の機会に
お話しさせていただくとして・・

 

話を戻しますが、

大学に合格したはいいものの、
超文系人の私が入学したのは超理系大学。

授業についていけるはずもありません。

在学中にうつ状態にまで陥ってしまい、
結局大学3年の前期で退学しました。

その引き金となったのが、
元夫との出会いでした。

 

結婚→離婚→子育て暗黒時代を経て現在の私

 

当時自分に全く自信がなく、
生き方さえ見失っていた私にとって

2歳上の元夫は、
高校を卒業して
すでに働いていたこともあり、

力強く、頼りがいがあって、
自信と、生きていく力にあふれた、

まぶしいくらいの人でした。

この人と一緒にいれば大丈夫、
というか、
この人に見捨てられたら生きていけない

と、当時の私は
本気で思っていました。

 

3年のお付き合いの後、
両親の反対を押し切る形で結婚し、

紆余曲折の末子供を4人授かり、
結婚10年を迎えた年に

離婚しました。

 

私の父は、いわゆる、
モラハラな人です。

そして元夫も、モラハラな人です。

離婚に際し、
私は自分の状況を把握するために
いろいろと調べたのですが、

その時に、

モラハラ環境下で育つと、
モラハラをする人間か、
モラハラされる人間の
どちらかになることがほとんど、

ということを知りました。

まさにその通りになっていたのです。

 

モラハラに関しても
多少知識はありますし、

私に関してお伝えしようと思うと、
切っても切れないものでもありますので、

機会があればまた
お話させていただこうと思います。

 

ここまで長々とお付き合いいただいて
ありがとうございます。

相当な量になってしまいましたが、
これでもかなりかなりかなり

削っております笑。

ちなみにこれだけの量の
文章を読める人って
なかなかいません。

これ本当です。

すごいです!!

ありがとうございます!

 

でもだいたいこれで、

私が全く
自分に自信マイナス、
自己肯定感マイナス、
自己信頼感マイナス、

自分は全く何もできず、
生きている意味も価値もないと
思っていたことと

その経緯が
お分かりいただけたかと思います。

 

そんな私が、
上手に子育てできるはずもなく・・・

なのに今、
ある知識を得て行動したことで、

毎日自分の環境に感謝し、
自分で自分をおもしろがって、

子供たちを心からかわいいと思え、
幸せに楽しく、

しかも自分はもちろん、
子供たちの変化や成長を実感しながら
過ごせるようになっているのです。

自分でも信じられないですが、
これは事実です。

 

そしてこれは、

だれにでもできることなのです。

誰でも幸せになれます。

これを読んでくださっている方
みなさんが、幸せな人になれます。

私がその方法を
お伝えするからです。

 

全然難しくありません。

何も用意していただくものも
ありません。

ただ私のお伝えすることを、
実践していただくだけで大丈夫です。

 

もちろん私も、
精いっぱいお手伝いさせていただきます!

あなたが今、
私の記事を読んでくださっているということは、

あなたと私に、ご縁があるということです。

あなたが私とのご縁を、
手繰り寄せてくださったのです。

私は、あなたが
せっかく手繰り寄せてくださった
このご縁を大切にして、

あなたが幸せになるお手伝いを
させていただきたいと、
心の底から思っています。

それは、あなたのお子さんたちを
幸せにすることでもあるからです。

 

このブログでは、

私が得た知識と、
それをどう実践したか、

それが自分と子供たちに
どんな影響を及ぼしたか、

などなど、できるだけ具体的に
お伝えしていきます。

また、インスタグラムでは、
現在の私と子供たちの日常を
イラストにしてお伝えしていますので、

ぜひそちらもご覧いただければと思います。

インスタグラムへのコメントやメッセージも
大歓迎です!

必ず返信させていただきますので
お気軽にお声がけくださいね!!

 

それではまた、
別の記事、インスタグラム、メルマガで
お会いいたしましょう!

 

最後まで読んでくださり、
本当に本当にありがとうございました!

 

あなたのとのご縁を、
末永く大切にしていけることを

心から願っています。

子育て

Posted by siki